


海洋懇親会 会員の皆様 平成26年7月20日
先日は大内前会長の突然の訃報に接し、ついこの間までのお元気な様子を思い浮かべてつくづく世の儚さを実感した次第です。 ご冥福をお祈り申し上げます。
これから迎える酷暑の候も一時、すぐに秋のゴルフシーズンを迎えます。 ここに大内前会長の追悼大会とも言うべき、第232回海洋懇親会の開催のご案内をさせて頂きます。
第232回海洋懇親会
開催日時: 平成26年9月26日(金)08:28 IN スタート 集合 07:45)
場所 : 「磯子カンツリークラブ」
〒235-0045 横浜市磯子区洋光台6丁目43-24
Tel: 045-833-0641
競技 : 18ホールストロークプレー 新ペリア方式
会費 : 5,000円 (プレー代 昼食費 各自負担)
申し込み期限: 9月5日迄 稲垣 孟 宛にお願いします。
Mail: tinagaki@cello.ocn.ne.jp Tel: 045-331-3328
携帯: 090-4962-6328
以上 奮ってのご参加お待ちしています。 会長 稲垣 孟
幹事 富川康文
当日の報告記事と写真を添付しました。
→第232回海洋懇親会報告(pdf)
→第232回海洋懇親会写真(pdf)
2014.09.29. 横浜支部・事務室長
先に、ご案内の通り、7/18 1830~2030 ナビオス横浜にて、海洋会、全船協と若葉会の横浜3支部の共催による、海の日・前夜祭が開催されました。 3団体会員、来賓者を含め、117名の方が集いました。
祭りは、山谷前事務室長の来賓の案内、若葉会の石野智紀さんの進行で、主催者の斎藤徹郎、海洋会横浜支部長、中村公介、若葉会三管支部長、相川康明、全船協・横浜支部長が紹介され、斎藤支部長の代表挨拶があり、その後、来賓の海上保安庁 参事官 大根潔様、第三管区海上保安本部長 堀部健二様 横浜市港湾局 管財第二課水域管理係長 貝瀬修一様 帆船日本丸記念財団 副会長 小山義訓様 横浜船主会 副会長 新潔様 全船協会長 岩田仁様 海洋会会長 豊田耕治様が紹介され、代表して、海上保安庁参事官の大根様より祝辞を賜りました。 そして、日本丸財団の小山副会長により、乾杯の音頭で、歓談が開始されました。
総年齢1400歳と言う「ハッピーじゃむ」の海をテーマにした演奏をBGMに、歓談が続き、相川康明支部長の中締めの挨拶で終了しました。 斎藤徹郎支部長の挨拶、来賓並びに出席者名簿と収支報告を添付します。 また、来年は20回となる記念の祭りとなります。 開催日時や場所について、意見のある方は、指導と助言をお願いします。
故・大内博文様は去る7月9日(水)74歳を持って永眠されました。
葬儀はご令室様の喪主のもと、神式作法に則り、通夜祭・7月13日(日)、葬場祭・7月14日(月)川崎市麻生区栗木の常念寺で執り行われました。
大内様(TE10回生)は福島県立安積高校、東京商船大学に学び、日本郵船監査役、京浜ドック社長、日本機関士協会会長、海洋会副会長の要職を歴任され、又、こよなく酒を愛し、類まれな面倒見の良さで、東京商船大の空手部OB会長、ゴルフ海洋懇親会会長を引き受けて直近まで皆様の為に汗を流しておられました。
昨年末から聖マリアンヌ大学でがん治療通院されておられましたが、お元気な様子で横浜支部にも来られて「海の日前夜祭」に来るとお話しされていた中での急逝に未だ信じられぬ思いです。
葬儀にはNYK宮原会長等延べ400人以上の方が参列され、出棺に際しては寮歌「ああ月明」を合唱して送りました。
文責・横浜支部長・斎藤徹郎
6月1日付けで、横浜支部・事務室長に着任、前任の神船大E16山谷周二さんから業務の引き継ぎ中です。 年5回の主要 行事があり、それ以外の毎月第二火曜日、象の鼻パークのゴミ拾い、常任・支部員会とそれに続く懇親会を手配します。 今は、7月18日(金)の「海の日」前夜祭に向けて、山谷さんの支援と助言を得ながら準備を進めています。
「帆船日本丸1960年の日米修好記念航海を語る」座談会(報告)
横浜市の帆船日本丸記念財団は、帆船日本丸が54年前に就航した「日米修好通商100年記念航海」を振り返り、乗船していた写真家・中嶋房徳氏の記録写真をもとに、当時の乗船者が講師を務める座談会を開催したので報告します。
座談会の開催は、2014年6月1日(日)午後、会場は横浜みなとみらい地区にある日本丸訓練センター、講師陣は54年前に帆船日本丸に乗り組んでいた2/O荒川 博、sailor只野邦夫、cadets立石健三、安田岩男、カメラマン中嶋房徳の5氏、入場無料で多数の聴衆が大型スクリーンに投影された記録写真と講師陣の思い出話を堪能しました。
ご承知のとおり、帆船日本丸一世は昭和5(1930)年に建造され、約54年間活躍し、昭和60(1985)年4月より、横浜みなとみらいのドックに現役当時のまま浮揚して保存し、一般公開しています。船の生活を体験する海洋教室や総帆展帆(年間12回)などを行い、座談会当日も総帆展帆が午前中から実施され、帆船のすばらしさ、楽しさを伝えています。
帆船日本丸のある日本丸メモリアルパークはJR桜木町の至近にあり、これまで年間延べ100万人以上の入場者で賑わう観光地です。船内の案内は、多数の海洋会員がボランタリーで組織する「帆船日本丸ガイドの会」が行い、見学者の質問に答えています。
座談会は安田岩男・元実習生が進行役となり、1960年4月2日東京出港から6月20日ニューヨーク出港までの帆走、課業、操練、船内生活、100年祭行事の記録4,000カットから抜粋した写真(40点)が大画面に投影され、それぞれの感想が披露されました。
太平洋上での端艇操練の船酔い、片手は船のため、片手は己のため行う展帆/縮帆作業、天測・タンツー課業、運動会・洗濯・就寝前の団らん、ボルチモア・ニューヨークでのパレード・・・講師陣の巧みな話術と秀逸なカメラアングルは50年以上の時差を吹き飛ばしていました。
これらの写真展は、帆船日本丸船内で2015年3月まで開催されます。 文責 横浜支部・斎藤徹郎
H26年度 横浜支部 定期総会 議事抄録
1.日 時 平成26年5月13日(火)17:00~17:30
2.会 場 海洋会横浜支部3F会議室
3.支部長挨拶
4.議長選出:支部運営内規第7条2項により、斎藤支部長を選出
5.定足数確認:支部運営内規第7条により、総会の成立を確認
出席者41名(開始時28名)、委任状86名
6.議題と審議
○ 第1号議案:平成25年度 事業報告及び決算報告について
事務局から資料を基に説明が行われた後、監査役の今井氏より支部会計及び支部基金並びに三団体基金に係る監査報告があり、審議の結果、特段の異議は無く、第1号議案は承認された。
○ 第2号議案:平成26年度 事業計画及び予算について
事務局から資料を基に、主として新たな取組みと予算の増額に係る概要説明が行われたが、より詳細な説明を求める意見があり、これらを踏まえた追加説明が行われ、審議の結果、第2号議案は承認された。
7.報告事項
支部長より、下記に係る概要が口頭で説明された。
1)支部運営内規の制定について
2)平成26年度支部役員・委員の異動について
3)主要行事及び委員会の開催予定について
以上
総会資料
① H25年度 横浜支部 事業報告書
② 〃 〃 決算書
③ H25年度 支部基金並びに三団体 決算書
④ H26年度 横浜支部 事業計画書
⑤ 〃 〃 予算書
⑥ (一社)海洋会 横浜支部運営内規
⑦ 〃 〃 役員・委員名簿
完
先に、ご案内の通り、7/12 1830~2030 ナビオス横浜にて、海洋会、全船協と若葉会の横浜3支部の共催による、海の日・前夜祭が開催されました。
祭りは、先ず、主催者の斎藤徹郎・海洋会横浜支部長、岩並秀一・若葉会三管支部長、相川康明・全船協横浜支部長が紹介され、代表して、斎藤・海洋会横浜支部長の挨拶があり、続いて、来賓の 若葉会会長の代理で、副会長の加賀屋尚之様、第三管区海上保安本部長・新城達郎様、横浜市港湾局 理事・三上圭一様、港湾管財部長・高田靖様、横浜船主会会長・今野洋一様、 副会長・三浦和彦様、東京海洋大学学長の代理で、副学長の鶴田三郎様、帆船日本丸記念財団会長の代理で理事・新堀靖司様、全船協会長・内田成孝様、海洋会会長・豊田耕治様が紹介され、代表して加賀屋若葉会副会長から祝辞があり、全船協の内田会長の乾杯の音頭で、歓談が始まりました。 そして、「ハッピーじゃむ」の演奏が開始され、相川全船協横浜支部長の中締めの音頭で、閉会となりました。 斎藤支部長挨拶、収支報告、出席者名簿を添付します。
斎藤徹郎(さいとう てつろう)
横浜支部は、関係する海洋会会員1700余名を数え、毎年の支部の活動には支部委員70余名と共に延べ1200名以上が参加し、支部長は1932年以降16代目と続く大きな支部です。
海洋会所有の横浜海洋会館は、横浜市の歴史的建造物に認定され、テナント(6社)からの賃収は海洋会の収益に寄与し、3階の横浜マリンクラブでは海洋会会員のみならず全船協、海上保安庁、市港湾局、海上警察等との交流もあり、文化人・新聞社等のマスコミ関係者も一緒に飲むなど独特の雰囲気があります(海洋878号、及び、本号・第93回定時社員総会議案書ご参照)。
私は、在学中は端艇部と海事思想普及会に励み、アルバイトで日本海難防止協会の地方巡業運転手、築地魚河岸作業員等に励み、浅学にして菲才、未熟で粗忽で無器用者です。
にもかかわらず海洋会横浜支部長の大任を引き受けましたのは、海事への強い思いと諸先輩が創られた日本人船乗り魂を次世代に託す義務感から、豊田会長を補佐して会員各位の尊厳を守り、海国日本に少しでも役立てればとの愚者の一得です。
船員になることは亡父(東機92)のDNA故か、農林漁業者と同様疑問はありませんでした。
31年間の船社在籍中、国際海洋博覧会に出向して海上都市(アクアポリス)の住民(船員)の存在を通産官僚と共に予算化し、商船三井客船に出向して世界青年の船で各国の青年と交流し、横浜支店勤務で企業枠を超えて港の振興に参加できたことは偏に皆様の叱咤・激励のお蔭でありました。
海洋会が元気になるには、日本人全体が海の重要性を認知し、海運と海技者を理解して応援することに尽きます。17世紀のロンドンのロイズ・コーヒーハウスから海上保険が発展したように、海洋会にあらゆる人々が集い、その中から次世代の海技者が育つ場を目指して励みます。皆様のご理解と叱咤をお願いいたします。
略歴:昭和41年・東京商船大学航海科(14回生)卒業、(株)商船三井入社、海務課・船員課・横浜支店勤務、平成9年・横須賀水先人就業、東京湾水先人会理事、日本水先人会連合会理事を経て現在に至る。
以上
2006年8月に「海洋」に投稿した原稿です。(掲載直前の添削は反映していません)