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横浜支部

近未来の横浜海洋会館(「海洋」2007年1月号への投稿原稿)

2010年10月12日(火)

2006年8月に「海洋」に投稿した原稿です。(掲載直前の添削は反映していません)

海洋」2007年1月号に「横浜開港150周年 象の鼻地区整備計画」(投稿時のタイトルは「近未来の海洋会館}のタイトルで掲載された関係で年数にずれがあります。
また3桁以上の漢数字は英数字に変換しました。



ジオラマの写真(横浜球場から大桟橋方面) 中央の道路(日本大通り)の突き当たり
に見える緑色の屋根が東西上屋の倉庫(2009年に撤去され象の鼻パークとなる)
横浜海洋会館がその前に見える

以下に投稿原稿を貼付ました。

 
海洋会の主要な資産である横浜海洋会館を含む周辺が、3年後(2009年)の横浜開港150周年のイベントに向けて再整備され、「象の鼻地区」の中核に位置づけられます。(象の鼻の由来は後述)
日頃ご利用にならない会員の皆様に本館の沿革、現状と周辺の近未来をご紹介いたします。
 
海洋会館の沿革(会館内に掲示の全文から抜粋)
昭和10年11月に野毛山に建設された宿泊設備を有する海洋会横浜支部会館は、第二次世界大戦の戦災に遭い灰塵に帰した。
支部会館の再建計画は、故 水谷長次郎氏を中心にして、昭和26年1月から会館設立基金の募集を始め、これに海洋会が所有する高島台の土地250坪の売却代金132万円を加えて基金総額は190万円となったが、資金は足りなかった。
昭和33年、先輩方が残した野毛山旧会館の敷地を800万円で売却して、基金総額990万円となり、現在の海洋会館である大倉商事ビル(昭和4年建造 施工者:大倉土木(現大成建設))を(財)日本船員福利協会((社)日本船主協会により組織されていた)と共同購入して、昭和34年2月5日に開館披露式を行った。(改装費・調度備品等合せて1,020万円)
 
現在の海洋会館
現在の海洋会館は、オールド船乗りには忘れられない大桟橋の入口近辺にあり、横浜スタジアムから始まる日本大通りの突当りにある。昭和4年建造の煉瓦(スクラッチタイル)ばりで鉄筋コンクリート構造の地下1階・地上3階であり、隣接建物(テナントはスカンジア等のレストラン)とほぼ同様な外観で、昭和初期の景観を保っている。
 
現在の共有者は、(財)日本船員福利協会から(財)日本船員福利雇用促進センター(SECOJ)となり、土地は国有地のため借地料を海洋会は年間130万円支払っている。
海洋会の持分(延約80坪)の2階は、横浜パイロットクラブ(前身:日本海洋振興会横浜倶楽部)と国際海事検定社(海洋会会員)に貸し、3階は会議室と横浜マリンクラブが使用し、3坪程の事務室は屋上への中間階にある。
SECOJは地下と一階を専有し、平成12年6月までは船員サービスセンターとして使用していたが、現在は全てテナントが入っている。
 
1)海洋会館の保守整備の状況
昭和43年、大修理工事を施工(工費269万円は支部会員の寄付金により賄う)、その後も、幾度か部分補修を重ねていたが、外壁煉瓦が地上に落下して危険な状態になった為、会館の管理を本部へ移行した上で、本格修理を施工し、昭和56年11月10日改修披露を行なった。(施工費3,166万円)
以後、屋上/窓枠からの雨漏り対策、排水管等の水周り修理を主に施行してきた。
本年に入り、本格的な保存工事を視野に入れ、外壁の部分落下防止の為、正面(歩道側)の外壁を補強して金網で覆い、トイレ等の排水設備の修理を行っている。
 
2)横浜マリンクラブの現状
昭和56年改修の際、3階の談話室(海洋会員の厚生と娯楽の場)は、横浜マリンクラブに衣替えして、海洋会から分離して海洋会会員以外にも門戸を開き、独自に入会金を募って集めた基金により、横浜マリンクラブ運営委員会が管理運営して現在に至っている。
 
近未来の海洋会館
初期(昭和58年)の「みなとみらい21」の構想では、会館一帯は公園とする計画であり、移転問題が生じたが、平成16年に発足した横浜市が主体のナショナルアートパーク構想では、横浜の歴史と未来をつなぐ象徴的な拠点として「象の鼻地区」に位置付けられて、本年6月、開港150周年に向けた再整備基本計画がまとまり、会館は保存の方向で決定した。
しかしながら、国有転貸地にある会館の外観を建設当時の姿で保存するための資金援助は、横浜市が制定した「歴史を生かしたまちづくり要綱」の適用による歴史的建造物の指定が必要となるが、指定には、国有地の払下げを基本方針にしている国と、購入の予定はない横浜市の交渉結果が前提であり、成り行きが注目される。
 
当面、会館の保守整備には従来通り、国の承認を得なければならず、保存は建物の所有者の意思に任せようとする傾向にあるが、会員諸氏の尽力で存続してきた海洋会館は、市民の文化観光交流の場の一角となって再活用され、資産価値も上がる状況にある。末尾に、近未来の観光コースを紹介する。
 
1)「象の鼻」の由来と、開港150周年のイベントとの関わり




       1892年(明治25年)          1922年(大正11年)        1935年(昭和10年)
1859年横浜開港にあたり波止場が造られ、1867年に湾曲した形に変更され、その形状から「象の鼻」と呼ばれるようになった。
海洋会館の付近は、1854年3月8日ペリー提督が上陸して日米交渉が行われた歴史的な土地であり、(横浜開港資料館のパンフレットより)象の鼻地区は、開港150周年のイベントの中心的な位置として期待できる。
 
2)会館は、横浜の観光スポットライトが当たる。
整備計画(添付 2009年度時点における整備イメージ図)によれば、


・周辺地区と象の鼻地区をつなぎ、日本大通から港を感じられるように海への見通しが確保される。
 
・会館の裏にある東西上屋(戦後、霞ヶ浦にあったゼロ戦の格納庫を移転利用)は移転整地され、オープン
 カフェを備えたレンガ敷きの公園となる。
水域は係留船を減船して水上交通など様々な活用をすることで、港らしい景観とする。
・会館も含めて両隣の建物は残し方向で計画している。
・横浜開港150周年(2009年)以降も再整備は進める。
防波堤の復元(明治20年代の状態)、現在のプロムナード撤去、
 
現在でも、浜水会(自称、精神年齢が40歳代までの有志会員)主催の花火鑑賞会を屋上で開催している。空気の振動が体にまで伝わる絶景のポイントであり、屋上からは横浜三塔のうち、キングの塔(県庁)とクイーンの塔(税関)が一望できる。ジャックの塔(横浜開港記念館)はビル群に隠れている。
 
近未来の観光コースを次の様に夢想して、海洋会館が会員の皆様の力で活用されることを期待します。
長さ2kmのベルト状の中に
ランドマークタワー帆船日本丸赤レンガ倉庫海上保安資料館(北朝鮮工作船を展示)→象の鼻公園(海洋会館)横浜開港資料館大桟橋(客船ターミナル)→山下公園(氷川丸)
以上 貼付原稿

| post by 横浜支部 事務室長