日 時 11月10日(火) 18:00~19:00
場 所 海洋会横浜支部3F会議室
講 師 橋本 進 氏 (清N3)元航海訓練所・元東京商船大学教授
演 目 「咸臨丸の勝海舟」
【勝海舟と号したのはいつ】明治2年7月頃
【海舟の号の由来】勝は「おれが海舟という号を付けたのは、象山の書いた
[海舟書屋]という額がよく出来ていたから、それで思いついたのだ」と
『氷川清話』に記している。
【数学に弱かった勝】あまり得意な方ではなかった。
【以下咸臨丸航海】
幕府軍艦咸臨丸(排水トン数625噸、全長48.8m、蒸気機関100馬力x1基)
は1860年(万延元年)2月4日、品川沖を出航し荒れ狂う北洋に乗り出した。
日本人乗組員94名、アメリカ人11名、総計105名が乗り込んでいた。
出航直後の大時化で、軍艦奉行・木村摂津守、教授方頭取・勝麟太郎以下
日本人乗組員の殆どの者がダウンしてし まった。その危機を救ったのは
アメリカ海軍大尉J.M.ブルックであった。ブルック大尉は日本人乗組員に
対して徹底的に“シーマンシップ”教育-船内生活のマナーと航海技術まで
もーを実施した。ブルック大尉は自分達が下船後の日本人のみによる復路
航海を成功させる為であった。その成果は復路航海に発揮され、咸臨丸は
無事帰国した。
航海日数は、142日、総航海距離1万1006海里(約2万383キロメートル)
であった。
参加者 34名
→講演資料(pdf)
公益目的事業
横浜支部2015年11月「講演会」: H27.11.10
2015年11月17日(火)
| post by 海洋会事務局